おすすめメニュー「丸亀製麺各店」

 私たちは自分の意志で選択し得る選択肢が多ければ多いほど「自由」であると錯覚しがちです。しかし、それは論理的には確かに正しいのかもしれませんが、体感的にはそうではないと思うんです。自分の志向のある程度の範囲の中の適度な数の選択肢の中から選択を迫られた方が、より享楽的に「自由」らしい自由を手に入れることができる気がするんです。

 例えば、「世界の街に行ってもいい」と「日本のどの都道府県に行ってもいい」という選択では、後者の方がより気楽に楽しい気分で選択ができると思うんです。もっと極端に例えれば、白紙の画用紙をもらって「一番魅力的な異性を描け(選択していませんが究極的な選択といえます)」よりもある程度のタイプの異性の写真の中から「一番魅力的な異性を選べ」と強いられた方が余程楽しく、そちらの方が「自由」らしい自由と言えるのではないかと思うんです。話がくどく、長くなりましたが今回お伝えしたのは丸亀製麺のおすすめメニューについてです。

 当店に行くと私はいつもメニューに迷います。うどんメニュー自体も豊富ですし、温冷、てんぷらのオプション、薬味を勘案するとバリエーションは計り知れません。それは上記の例に倣えば、白紙の画用紙を渡されて「理想のうどんセットを描け」と強いられていることにほかならず私にとっては若干の痛みさえ伴います。そこで、自由を謳歌するのに逆説的ではあるのですが、論理的な見地から選択すべきメニューに迫りたいと思います。

 当店において「うどん」本体以上に価値が高いのが出汁です。味わうと相当な頻度で出汁をとっていることが感じられます。淡くて香ばしい本来の出汁の香りは短時間で消えて、大袈裟で雑味のある香りに変容してしまうものなのです。すると、当店で食べるべきは、出汁の味がダイレクトに感じられる「かけ」「ぶっかけ」の二択になります。少し強引かもしれませんが、「当店のアイデンティティ」「当店を訪れる意味」を深く考えると案外合理的な選択だと思います。

 次に、温冷問題です。出汁の香りは間違いなく温の方が鮮烈に感じられるでしょう。それはうどん自体の小麦の香りについても同等です。しかしながら、うどんのコシ、弾力という点においては圧倒的に冷が上回ります。また、てんぷらとの相性を考慮すると、冷がやや優っているような気がします。暖かいてんぷらを冷たい汁で食べる一瞬は、桜の咲く刹那を愛し、一瞬の旬を切り抜き愛する我々日本人のポリシー合致しています。

 そして、てんぷらの選択に至ります。うどんもてんぷらの衣も炭水化物である以上、タンパク質を選択せざるを得ないのが現実です。広範に人気を集める「かしわ」「たまご」を選択すべきです。

 最後に薬味です。てんぷらを食べる時にしつこいので天かすの投入は避けたいところです。また、ネギについては得手不得手が著しいので個人の采配に預けます。ここで、おすすめしたいのが「しび辛ラー油」です。比較的おだやかなうどんの世界に入るアクセントといいますか、差し色といいましょうか。有名なロックバンドって必ず夭折するメンバーがいるじゃないですか、その役回りです。しかし、これをうどんの器に投入してしまうと、淡い和の風情は一瞬で消え失せます。一瞬で中華料理になってしまいます。それが悪いわけではありません。実際おいしいですし。しかし、そこには丸亀製麺でこれを食べるという必然性が微塵も感じられません。それは別の店で食べるべきものです。ですから、この薬味はてんぷらに直接乗せて召し上がっていただきたいのです。和の空気の中に一口ごとにオリエンタルの風が吹き抜けることでしょう。

 若干の狂気をはらんできましたが、「ぶっかけ(冷)・かしわ天・たまご天」「しび辛ラー油」おすすめです。

ラーメン二郎仙川店(2000年頃)「調布市仙川」

 大学生になって一人暮らしをはじめた私は、食費を削ればその分小遣いが増えると考えて、毎日米を炊いて納豆だけを食べる生活を続けていました。たまに食べる吉野家の牛丼特盛が週一回程度の贅沢でした。それでも少し東京に慣れるとそんな禁欲感は失われ、まずはファーストフードからその食欲の食指を広げていきました。大手チェーンのピザのMサイズが持ち帰りなら500円、マクドナルドのフィレオフィッシュが120円というそんな時代だったからかもしれません。

 田舎者の私は、当時も相当有名だった二郎を全く知りませんでしたが、駅の近くで豚の煮える強い匂いを放つこの店は訪問の最右翼となりました。最初の訪問の記憶はあまり残っていませんが、注文のシステムを把握することで精一杯だった気がします。ニンニクの味が強烈で、「もう行かないな」と思いましたが翌日には食べたくなり、それからは週に2~3回程度訪問させてもらいました。明らかに早めの時間の方が、おいしいことを知り、行くときは開店の15分程度前から並びました。当時はそれでファーストロットを確実に奪うことができました。

 当時の仙川次郎は相当に食べましたので、味を鮮明に覚えています。小麦をこねずに、ただ水をかけて強く圧縮したような低加水のザクザクとした食感の麺。今にして思えば日本蕎麦に通じるところあったような気がします。噛む度に水に触れていない(そんなことないんですけれど)小麦粉のクリスピーな粒子が口内で弾けるような香り高い麺でした。永遠に嚙み切っていたいような食感と唇への当たりが鮮明に思い出されます。また、完全に非乳化(早い時間であれば)のスープは、その分油の香りが高く、黒い色の割に塩味がやさしい逸品でした。スープだけを飲んでもそれほどでもないのに、主張の強い麺とニンニクとの相性が抜群で、主役を邪魔しない名助演でした。主に腕肉が使用されていた豚は、しっとりと柔らかく脂っぽさのない出来でした。あんな豚はもう食べることができないと確信しています。また、あんな豚を覚えなければ私はもっと、能天気なラーメン人生を過ごすことができていたのかもしれません。豚の嫌な部分は、全部湯気になって消えていく仙川次郎はジャンク性の欠片もなく、繊細な構成の各部門が折り重なった重厚な名品でした。

 店内はだいたいが若い男性で、カウンターの上に張られた慶応大学出身者の立派な会社(大手損保が多かった気がします)の名刺を睨みながら、身を寄せながら二郎に食らいついていました。核分裂前に分子が揺れてお互いに作用するような、そんな未来に向けた若くて青い熱気があの店にはありました。

 挨拶を全くせず調理風景を睨む私は、当時の店主の松田さんに嫌われていました(当時の私はとがり方を間違えていた節が多方面にありました)。でも、たまに目が偶然合って会釈(反射的にであって、本当はしたくなかったんですが)なんかすると、豚が二列とも(いつも注文は大豚ダブルでした)肩ロースだったりしました。もう、その豚の美味しいこと。豚のいいところしか残していない芳醇な味わいは筆舌に尽くせませんでした。また、「オーダー間違えた。それ大じゃなかった。すいません」と言って、小ラーメンがまるまる追加されたこともありました。量的にオーダーは当たっていましたので、完食に苦悶した記憶が鮮明に蘇ります。

 四年間お世話になった最後の訪問の時、初めて松田さんに「ご馳走様でした」と大きな声で言いました。見ていないようでカウンターの全てを把握されていた松田さんは、忙しい中じっとこちらを向いてくれました。少し遠いけれど、年に一回くらいは来れるかなと思っていましたが、なかなかそうもいきませんでした。それから程なくして松田さんは逝去されたということです。どうして亡くなったかは存じませんが、あれだけ美味しいものを作ることができる人が天国に好かれるのは、当然のような気がしないでもありません。

 あれから開発が進んで、商店街から東は別の街の様相を呈している仙川も二郎の一角は当時のままです。数年に一度訪れますが、あの熱気と味わいと、当時の自分を思い出して胸が熱くなります。私が天国に行った時に、松田さんにお会いするのが今から楽しみです。きっと、「ニンニク、ヤサイ」って不愛想に言えば覚えていてくれると思うんです。

ツアーティー(全般)「TOUR TEE」

 ティーショット後、ティーを探したことがない。ティーは消耗品であるから、廉価なものをたくさん準備すればいい。一目であれば拾うが、なけらば諦める。それが美徳だと思っていた。その分、勝手ではあるが内心しつこくティーを探す人間を蔑んでいた。
 ボールのおまけに付いてきて、当製品を知った。非常に頑丈で折れたり欠けたりしたことは今のところない。適度に重いのでそれほど遠くに飛んでもいかない。失くしても諦めがつくし、永久に使用できそうな剛健さも兼ね備えている。また、この製品は突き刺し部の断面が平たい長方形であるから、パットの時ボールのラインをターゲットに向けるようにセットすることが推奨されている。これは付随的な効果かもしれないが、このおかげでボールのセット時のかなり前の時点からターゲットへ対するフック・スライスの選択のイメージの構築を求められる。その結果、私の場合「逆玉」は出づらくなった。完全にストレートには打てないのだから、ショットのかなり早い段階からフックかスライスかだけは決めておくのは有用であると考えられる。