今週のお題「好きなお弁当」
三十歳で妻を亡くした父は、その時三歳だった私を連れて東京から、田舎にある妻の実家に入りました。借家暮らしの東京で男一人で三歳児を育てるのは不可能でした。しかし、自分の実家は長兄が家督を継いでいました。苦渋の決断だったことが予想されます。
私が小学生になると、数か月に一度弁当持参の日がありました。普段の食事は祖母が作ってくれたのですが、弁当だけは父が作ってくれました。弁当持参の前の日になると仕事が終ってから自動車で三十分かけて最寄りのスーパーに私を連れて、「明日は何弁当ががいい?」と聞きました。私はたいてい鰻がいいといって、当製品を買ってもらいました。当時田舎のスーパーには鰻といえばこれしかありませんでした。
低学年の頃は無邪気に鰻弁当を喜んで自慢していたんですけれど、高学年になると微妙な空気間を感じるようになりました。「都会から来た外様が、息子に恥ずかしげもなく贅沢をさせている」というような雰囲気です。弁当の件だけでなく、赤い車に乗り、ラッパズボンを履き、香水を付ける父は地域に迎合するような気はまったくなかったのは事実でした。母の実家は、三代前に北海道からやってきた住民がいまだに「ホッカイドー」と呼ばれて疎外されているような閉鎖的な町にありました。
私は鰻をリクエストすることもなくなり、買い物にも一緒に行かなくなりました。みんなと同じように梅のおにぎりを希望し、父を疎ましく思うようにさえなりました(私は感化されやすい少年でした)。そして、弁当は祖母に作ってもらうように頼みました。以来、父の作った弁当を食べることはありませんでした。それが最後でした。そして、当時の父の年齢をはるかに超えた時にようやく、私はその時の父の状況を理解し、父のしてくれたことへ感謝の気持ちを持てるようになりました。
もう父の弁当を食べることはできませんが、今も実家に帰るたびに、父の手料理で酒を飲んでいます。気恥ずかしくて直接感謝を伝えることは一生できそうにありません。いや、この前腕時計をあげました。そしたら、気に入らないらしく全然使ってくれないんです。本当にひどい親なんです。